ハツカネズミと人間 (新潮文庫)のレビュー
人間も二十日鼠も小さくはかない。
高校生の時に読んで、もの凄く感動したことを覚えています。
章ごとに描かれる大地の情景、雰囲気、匂いが鮮烈にイメージで浮かび、読んでいて引き込まれました。
大人になった今でも人生最高の一冊です。
感動した理由を高校生の頃は上手く言うことができませんでしたが、今なら言える気がします。
二十日鼠も人間も、共に自然(大地)の中に生きている(生かされている)。自分たちが「生きる」ことに一生懸命な、しょせんは小さくて儚い生き物。
今になって思うことは、
そんな二十日鼠も人間も大地の一部である、ということです。
理屈ではなく、素直に自分の感性の感じるままに読んで欲しい本です。
章ごとに描かれる大地の情景、雰囲気、匂いが鮮烈にイメージで浮かび、読んでいて引き込まれました。
大人になった今でも人生最高の一冊です。
感動した理由を高校生の頃は上手く言うことができませんでしたが、今なら言える気がします。
二十日鼠も人間も、共に自然(大地)の中に生きている(生かされている)。自分たちが「生きる」ことに一生懸命な、しょせんは小さくて儚い生き物。
今になって思うことは、
そんな二十日鼠も人間も大地の一部である、ということです。
理屈ではなく、素直に自分の感性の感じるままに読んで欲しい本です。
このうえもなき企ても
60歳でノーベル文学賞を受賞したジョン・スタインベックの35歳頃の作品。
この頃から世間の注目を集め始めました。
他に「怒りの葡萄」や、「エデンの東」などの著作でも知られます。
「ハツカネズミと人間」は、世界大恐慌時のカリフォルニア州が舞台。
2人の出稼ぎ労働者、力はあるけど賢くないレニーと、郷里が同じでレニーを子供のときから面倒みてきたジョージとの悲劇の物語です。
社会の底辺にいる出稼ぎ労働者の悲哀と、夢はなかなか現実にはならないものだという
運命論的なものが伝わってきます。
夢というのは難しいですね。
自分自身の夢かと思っていたものはチームの夢だったり、
チームも誰とでもいいわけじゃなくて、俺とあいつだから、
この二人だから見られる夢というのはあるなと読んでいて思いました。
なかなか読みやすい小説で印象に残ります。
ノーベル文学賞受賞者の作品を若い時のでいいからとりあえずどれか読んでみたいなと思う方にはオススメだと思います。
この頃から世間の注目を集め始めました。
他に「怒りの葡萄」や、「エデンの東」などの著作でも知られます。
「ハツカネズミと人間」は、世界大恐慌時のカリフォルニア州が舞台。
2人の出稼ぎ労働者、力はあるけど賢くないレニーと、郷里が同じでレニーを子供のときから面倒みてきたジョージとの悲劇の物語です。
社会の底辺にいる出稼ぎ労働者の悲哀と、夢はなかなか現実にはならないものだという
運命論的なものが伝わってきます。
夢というのは難しいですね。
自分自身の夢かと思っていたものはチームの夢だったり、
チームも誰とでもいいわけじゃなくて、俺とあいつだから、
この二人だから見られる夢というのはあるなと読んでいて思いました。
なかなか読みやすい小説で印象に残ります。
ノーベル文学賞受賞者の作品を若い時のでいいからとりあえずどれか読んでみたいなと思う方にはオススメだと思います。
二十日鼠と男たち
レニーの2回の暴力(?)シーンが鮮やか。キャラがそれぞれ立っている。
表題のmenは「人間」よりも「男たち」というほうがいいような気がする。
表題のmenは「人間」よりも「男たち」というほうがいいような気がする。
かけがえのない相棒を殺さざるを得なかった切なさ
切ない感じが心に残る。
(1)人間が生きていく上で、夢を持つことが必要なこと、話し相手となる友人が必要なこと、
(2)アメリカの人種問題、
(3)人間の見栄っ張りの浅はかさ、
(4)魅力的だが落ち着きのない妻をもつことの問題、
などなど色々な人間の側面を短編の中に凝縮して描き出していて、良い作品と思う。
ただ、今の僕としては、著者の思索がはっきり提示される話が好きであり、その点トルストイと比べ物足りない感じがする。
知恵遅れのレニーは「イワンの馬鹿」のイワンを思わせるが、イワンは馬鹿で正直ゆえに幸福に向かうが、レ二ーは馬鹿であることが人との関わりの中で人を傷つける方向に向かってしまい自らの破滅を招く。
(1)人間が生きていく上で、夢を持つことが必要なこと、話し相手となる友人が必要なこと、
(2)アメリカの人種問題、
(3)人間の見栄っ張りの浅はかさ、
(4)魅力的だが落ち着きのない妻をもつことの問題、
などなど色々な人間の側面を短編の中に凝縮して描き出していて、良い作品と思う。
ただ、今の僕としては、著者の思索がはっきり提示される話が好きであり、その点トルストイと比べ物足りない感じがする。
知恵遅れのレニーは「イワンの馬鹿」のイワンを思わせるが、イワンは馬鹿で正直ゆえに幸福に向かうが、レ二ーは馬鹿であることが人との関わりの中で人を傷つける方向に向かってしまい自らの破滅を招く。

多くの人たちが苦しい生活を強いられていた大恐慌時代のアメリカ・カリフォルニア。農業労働者のGeorgeとLennieのある農場での四日間を描いている。
内面描写はほとんど無く情景描写と会話のみで話が進んでゆく。
感じの悪い農場主の息子のCurley、右手を事故で失って掃除夫として働いているCandy、馬小屋で働いている一人ぼっちの黒人Crooks、農場でのCurleyとの結婚生活が嫌で仕方がないCurleyの妻などが、物語の中で造形されたというよりも、この現実の世界で頑張って生きていこうとしているが、弱いところや醜いところも併せ持った原寸大の人間として描かれている。
発達障害のあるLennieが問題の源であるように見える。しかし、単にLennieが引き起こした問題と結果というのではなく原寸大の人間の集まりが生んだ一つの結末なのではないだろうか。
馬小屋での悲惨な出来事があって事態はどうなるのかと読み進むと、“Curley gon’ta wanna get ‘im lynched.”(p.94)とありGeorgeが“I ain’t let ‘em hurt Lennie.・・・I’m gonna go in the bunkhouse.”(p.95)ときてCandyの老犬を始末したCarlsonの拳銃Lugerが無くなっていると分かったときある予感がした。Lennieが一人で身を隠している場面で夕暮れが近づき“… ,and the hilltops were rosy in the sun.”(p.99)→“Only the topmost ridges were in the sun now”で「いよいよかな」と思った。
Georgeの優しさが哀しい。