怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)

怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)

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新潮社
価格: ¥660

怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)のレビュー

自分の一番大切なものを人に与える時、人間は最も光り輝く
主人公たちの英知を結集した粘り強い努力はことごとく水泡に帰し、弱者のつつましやかな善意は強大な市場原理の力の中で全く意味を失ったように思われ、物欲に支配された者、拝金主義者、利己主義者のみが大きな顔をしてのさばり、聖書の御言葉さえ、その力を失い、行く道が全て失われた時、それでも心ある人間は助け合うことを止めないし、無償の善意も行われ続ける。「バカなアメリカ人」の最高に気高い姿が描かれています。しかし、このような庶民の中にこれほど多くの聖書の言葉が蓄積されているとは驚き。「怒りの葡萄」がどのような実を結ぶのか、結末はこの本のメッセージを受け止めた読者にゆだねられた。
圧倒的クライマックス
本作の下巻で特に面白いのは、やはり第二十三章辺りからのダンス・パーティが筆頭だろう。
アルがうっかり婚約者のいる女性を冷やかしてしまってそそくさと退散したり
警察とグルになってわざと揉め事を起こそうとする一団がスマートに追い出されたり、
とにかく人がよく動き、どいつもこいつも憎めない。

キャンプの警備員(だっただろうか)に説教師・ケーシーが殺されるのを目撃したトムが
その男を殺してしまう場面。ここで草むらに隠れたトム・ジョードが母親に語りかける言葉、
「されどひとりにして倒るる者は憐れなるかな。これをたすけ起こす者なきなり」
「パンを食わせろと騒ぎを起せば、どこであろうと、その騒ぎのなかにいるだ。〜(中略)〜
 それに、おれたちの仲間が、自分の手で育てたものを食べ、自分の手で建てた家に住むようになれば、
 そのときにも──うん、そこにも、おれはいるだろうよ」この言葉には作品全体を貫くテーマが凝縮されている。

そして、赤子の死産直後に「シャロンのバラ」が餓死寸前の男に乳房を含ませる
余りにも有名なクライマックス。ここまで農民たちとともに旅を続けた読者は
人間の、生命の、あくまでも生き抜こうとする強固な意志に圧倒される。
人びとの心に実る「怒りの葡萄」は、生き抜く意志の象徴でもあるのだと私は思う。
生きる意志のないところに怒りが生じるはずはないのだから。
仕事があるって有り難いことだ
探しても探しても仕事がない。仕事の絶対数がない。どんなに小さな仕事でも、仕事を選ばなくても、賃金を低く抑えられても、とにかく仕事がない。
というのは本当に大変!
自分は仕事で不満もあるけれど、この流浪の貧農たちに比べたら、住むところもあって食事にも困らず、医者にも行けるし、恵まれているんだな、と思ったりしました。
人間愛が書かれていると言われる作品だそうですが、たしかに、どんなに困窮にあっても人間的に素晴らしいし、生命力があります。特にジョードのお母っさんは大地にしっかり結びついている、生き生きした強い女性だと思う。
今の時代の私たちにこんな生命力があるだろうか?足りないような気がします。

文句のつけようがない
社会派の小説は得意ではないのですがこれはどうにも読み止めることができないほどに読まされました。
ものすごい牽引力はまさに作家の筆力ですね。
この小説は奇数章に世の動きが描かれ、偶数章に主人公一家の物語が綴られているのですが、奇数章において、世の中の仕組みや動きが、
ややこしい漢字だらけの論理的な文章で語られるのではなく
人々を通した会話や、自然の描写などで淡々と「心理描写」抜きに語られています。

本筋もさることながら、これがすばらしい効果を生み出しています。
文章、構成、内容、ともに傑作の名に恥じません。
緩やかな衝撃
この言葉には矛盾がありますが、その情景に、その一言に衝撃を受ける、ということとは何か違うのです。読むうちに、何かが沸々と浮かび上がり、その一滴々々がゆっくりと腑に落ち、染みていく。ぱたんと本を閉じた後、落ちたしずくが自分のなかで響き、その音に耳を澄ましほかの動作を起こす自分を拒む。私は毎日読書をしますが、『怒りの葡萄』を読み終えた後しばらくは何にも手をつけることができませんでした。声の無い怒りと涙の出ない程の悲しみ、そして未来の無い現在の中で生きていくということはどういうことだろうと考えずにはいられない。名著です。